先日、写真の「安井金比羅宮」に行ってきたんです。
お宮よりも、貼られたお札が多すぎて白い紙の塊のようになっている「縁切り縁結び碑」の方が有名かもしれません。
そう。京都で「縁切り」で有名な、あの安井金比羅宮です。
軽い気持ちで観光で行ったのですが、神社にある諸々の謂れや「縁切り・縁結び」の説明などを見て、なかなか興味深いところがありましたので今日はその話をします。
いろいろ見てたらですね、「縁切り」と「縁結び」がセットになっていたんですよ。
安井金比羅宮さんでは、悪縁を切ったら、良縁が入ってくるという思想なんですね。非常に面白いなと。
で、いきなり神社の話かよと思われるかもしれませんが、わたしとしてはこういう「縁切り」のような概念も、迷信などとバカにせず、ものごとの因果関係の見方として参考にしています。
なにごとも、理由Aがあるから結果Bがあるわけです。
縁切りと縁結びも、人が体験する因果関係には相違ないと思っています。
キャッチコピーは「あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ」
さて。日本に巷ある神社のうち「縁結び」というのはけっこう多いのですが「縁切り」の方は数少ないようです。
繰り返しになりますが、安井金比羅宮は京都でも大変有名な「縁切り」のお寺で、わたしがうかがった休日は、女性客でとても賑わっていました。
ご利益としては、悪い縁だけでなく悪い習慣などを断ち切ってくれるそうです。みなさん別れたいパートナーがいる場合などに、こちらに来られるようですね。ご祭神は崇徳天皇です。
神社のWEBの説明によると、政権争いに敗れて、四国に流刑となった崇徳天皇があらゆる欲を捨て去るために、讃岐の金比羅宮で参籠(おこもり)されたことから「断ち物の祈願所」になったそうです。
キャッチコピーは「あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ」です。
実際、祈願の時に何をするのか、ざっくり説明しますと、
①形代とよばれる短冊に、縁を切りたいことや、縁を結びたいことを書く
②それを持って、「縁切り縁結び碑」の穴を表側からくぐって悪縁を切る
③次に、裏側からくぐって良縁を結ぶ。
④最後に、短冊を碑に貼って終了
……という流れです。
最初に、現地で説明を読んだときに、わたしはその順番に気が付きました。
あくまで、縁を切ってから、新しい縁を結ぶわけで。縁を切る方が先で、重点項目なんですね。
これってつまり「縁を切る」という言い方ではなく、もっと他の言葉で言い換えると、
今まで持っていたものを、捨てる・無くす・手放す・欠けをつくる……ということを言っているわけで。
先に「新しいものを入れるための場所をつくっておく」ことを指しているのかなと思ったんです。
先に「新しいものを入れるための場所をつくっておく」
すでに自分が両手にいっぱいものを持っていたら、新しいものを持つことはできないですよね?
だから、今持っている何かを捨てる。
それによって、手が空くので、新しいものを持つことができるようになる。
新しいものに手を伸ばせるようになる。
ああ、もしや、安井金比羅宮さんが「縁切り」と「縁結び」をセットにしているのは、
「まずは、今持ってるものを捨てなさい。そうしたら新しいものを持てるようになりますよ」
というメッセージの表れなのかなと。
そういう風にとってもよいかも、と思ったのです。
捨てると得るは表裏一体なのだなと。
最初に得てから無駄なものを捨てていくか。最初に捨ててから、何かを得るか。
と、すると。
並んでる時に、他の方の絵馬見えちゃったんですけどね。「△△と◆◆が離婚しますように、△△と自分が結ばれますように」と、お願い書いてる方がいて。
まったくナンセンスだなと思いました。ま、人ごとですけどね。
自分が捨てるものがないのに、これ以上持とうとするのは無理筋だなあと。
だとしたら、「縁結び」が主の方に行くべきではないでしょうか。他人を呪ってる場合じゃないです(笑)。
「縁結び」が先なら、たぶん縁が結ばれた後、無駄を削ぐように、何かを捨てることになるんじゃないでしょうか。
もう持てないのに無理やり何かを持ってしまう状態と仮定するならば。必然的に何かを落としてしまうように無くすんじゃないかなと。
と、考えていくと、
人の欲望にも、持てるキャパシティがあるでしょうし。
そう言った意味では「縁切り」は最初に捨てさせるって合理的でスマートだなと思えてきます。
つまるところ、
最初に得てから無駄なものを捨てていくか。
最初に捨ててから、何かを得るか。
……の違いですかね。
どちらか選べるのですから、我々は選べばいいのだと思います。
さて、あなたは「縁結び派」ですか?
それとも「縁切り派」ですか(笑)?
おまけ
この「スペースを空けておく」という考え方は、けっこう宗教ではポピュラーな考え方なのかもしれないなあと。ユダヤ教に似た概念あったなと、思い出したわけなのでした。
なんの本で読んだのか忘れてしまいましたが、内田樹さんが何かで書かれていたように記憶しています。