震災遺構小学校めぐりに行ってきました

9月1日の防災の日ですので、先日、宮城県へ震災遺構として保存されている小学校にいくつか訪問してきたことを書こうと思います。震災遺構小学校を三か所ほど訪れて、防災のことや人間のことなど、じっくり考える良い機会となりましたので…。

なんでまた震災以降小学校かというと、
以前、息子の中学校に、石巻市・大川小学校の遺族の方が語り部として来てくださり、その体験をお聞きしたことがありまして。大変な衝撃を受けたのです。

ご存知の方も多いと思いますが、大川小学校は2011年3月11日の東日本大震災で甚大な人的被害を出してしまったところで、教員と児童あわせて84人もの方が津波に巻き込まれて亡くなっています。それも逃げ遅れたというより、現場のみなさんの判断ミスで逃げる場所を間違えてしまったということが現在では分かっています。

遺族の方々が真相を究明するために活動したことを取り上げたドキュメンタリー映画「生きる」も見ました。これも大変衝撃的な内容でした。

『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』公式サイト
https://ikiru-okawafilm.com

一度、自分の目で、現場を見てみたいなと思っていたので、行ってきました。独りで(笑)。
公共交通機関だけだとなかなか行きづらい場所でもあり。どうも他の人を誘っていくのも気が引けちゃいましてね…。

仙台を経由するので、仙台市の荒浜地区にある「震災遺構・荒浜小学校」と、石巻市に宿泊したので海岸沿いにある「震災遺構・門脇小学校」も、見に行きました。

大川小学校もそうですが、この3つの地区は周りのエリアが津波に巻き込まれ、街並みがすべて無くなっているところです。小学校は被災したものの建物の一部が残され、震災遺構として残されています。現在に生きる我々が教訓にさせてもらうためです。

こう言ってはなんですが、この記事を読んでいただいている皆さんも機会があれば、見に行った方がいいです。
見るのは辛いのですが、人間って地球にとってちっぽけな存在なんだな、って思い知らされます。

震災遺構 仙台市立荒浜小学校

訪問順に紹介すると、まず、仙台市の「荒浜小学校」に行きました。

仙台から東の海岸の平野エリアです。江戸時代から開拓されて、たくさんの人が住んでいましたが津波で壊滅しました。

今はこんな風に草原や広い空間が広がっていますが、ここに、まちがあったんです。
多くの住宅があったんです。

震災当時、小学校は2階まで浸水したんですが、避難してきたみなさん共々子どもたちは屋上で難を逃れられたという場所です。鉄筋が捻じ曲げられ破壊されているものなどが、そのまま残されていました。

海岸方面に向けてしばらく歩くと、住宅の基礎が残されている場所があります。
「震災遺構荒浜地区住宅基礎」です。

津波によって浸食された地形や破壊された住宅の基礎のありのままの姿をご覧いただくため、極力手を加えない保存・活用を基本に整備しました。

仙台市公式サイトhttps://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/arahama_residentialfoundation.html

こうした遺構を見ることで、当時のことを想像することができます。本当に貴重な遺構だと思います。

石巻市震災遺構 門脇小学校

次に訪問したのは、石巻市の「門脇小学校」です。

ここは、学校の裏手に高台があるという立地で、一度避難した場所からさらに高台に避難するなどして、当時学校にいた児童は全員無事だったという場所です。
当時の火災に包まれた校舎はそのままの形で保存され、当時の様子や避難のことなどを紹介した展示館もあり、とても内容が充実しています。

写真をいれましたが、裏山に逃げるには学校を出て回り道するしかなく、まさに学校を出られない状況の中で、当時、先生方は教壇を校舎から裏山の崖の一部に立てかけて、そこから裏山を登って逃げたそうなんですねよね。
大勢の生徒や地域住民がいる中で、この判断をして実行できているのは本当にすごい。後述する大川小学校とは対照的です。

また、周囲のエリアですが……

ちなみに、門脇小学校があった石巻市の門脇町や南浜町も多くの住宅がありましたが、震災でほぼ全てなくなりました。津波伝承館などがありますが、今は津波復興記念公園として、ただ、ただ広い空間が広がっています。

石巻市震災遺構大川小学校

最後に「大川小学校」に行きました。 石巻市で宿泊して朝イチに電車に乗り、鹿又という駅で降り、平日しか運行されていない住民バスで20分ほど北上川沿いを下っていくと大川小学校のある釜谷地区にたどり着くことができます。

ここも震災前にはたくさんの住宅があった場所ですが、小学校以外、全て残っていません。

広場に線があり、この場に住宅が並んでいたそうなのですが、本当に跡形もなく、現実味がありません…。津波がどれどけ恐ろしい威力だったのかと思います。

そして、子どもたちが避難できていたら助かったという裏山にものぼりました。少し傾斜のある山道という感じで、低学年の子が登れないということは全くないですね(保育園児だと難しいかも)
ここを避難場所から外したのは、おそらく避難してきた地域の高齢者を考慮してのことでしょう。「みんなが全員避難できる場所」を探しちゃったんでしょうね…。

写真は、裏山を登ったところから見たものです。

この辺りのことは、もしよかったらドキュメンタリー映画「生きる」を見てみてください。
裁判の記録ということになっていますが、事件の真相を追う側面も描かれているので(それが主題ではないのですが)なぜ子どもたちが避難できなかったのか、についてはどなたでも想像がつくと思います。

というところで……

震災遺構小学校めぐりは、防災意識を高めるために行くのが正当な理由かと思うのですが、わたしは自然の凄まじさを知ることと、いざそれが身の回りで起こった時にどうするかを考えるために訪問した、のだと後になってから思いました。

今、大川小学校の場所から海や川は見えるのですが、当時は多くの住宅が立ち並び、海も川も見えません。津波が見えたときに裏山に走って逃げることができるだけの運動力があるかどうか。

やっぱり日々の運動、重要だなと思いました。。

どの震災遺構も、訪問すると胸がつまる思いで。亡くなった方々に手を合わさずにいられませんし、目の前に広がる草原や、だだっ広い公園を見つめながら、これが現実なのだなと思い知らされます。

繰り返しになりますが、これを読んでいただいたみなさんも、 様々な震災遺構を訪問されてみてはいかがでしょうか。

そんなことを思いながら、筆を置いておきます。

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